第四講 進化と蕃殖 ―マルサス説と収穫遞減の法則―

高畠素之

一、暑中の綿入れ

戰爭以來、人口論の局面が一變した。戰爭以前に於いては、人口過剩が問題であつたが、戰爭以後これが反對の現象を示すに至つた。戰爭は人を殺す。人口の減少は國力の疲弊を招來する。如何にして人口の増殖を策せんか。かくて獨逸政府の如きは、戰時中も頻りに一夫多妻を奬勵したと傳へられてゐる。

斯かる際に人口過増論者マルサスを話題とするは、些か暑中の綿入れ的嫌はあるも、しかし人口減少は決して永久のものではなく、今日の社會組織が存續する以上、人口過多の問題は必ず何等かの形式に依つて現出するに違ひない。

人口論はこれを一つの獨立した學問として觀ても可なり意義豐富な問題であるが、多くの場合それは貧困問題の附録として論究されてゐるにすぎない。貧困は今の社會の附隨物である。貧困は何故に生ずるかと云ふ問ひに對して、それは生活品よりも人口が多過ぎる故であると何人も躊躇なく答へるであらう。然らば貧困を絶滅するには、先づ人口制限の必要が起りはせぬかと云ふ議論や或は又貧困は人口過多の結果として已を得ずとなし、貧困を防ぐには、過剩人口を國外に移送する必要上、領土の擴張が緊要であると唱ふる、國家主義、帝國主義の主張も出て來る。

これ等は要するに、人口論そのものゝ學理的研究よりも、寧ろ今の社會組織若しくはそれより生ずる貧困問題に對する興味或は利害關係が先き立つてゐる。こゝに斯くの如き興味なり利害關係なりが存在する以上(換言すれば今日の社會組織が存續する限り)マルサス説は、眼前は兎もあれ、永き將來の間に又必ず擡頭するに相違ないのである。即ちマルサスを話題に引出した所以である。

二、マルサス説の根本

マルサスの人口論を略言すれば、(一)自然界の一切の生物は(人間も)、常に其の食物範圍以上に増殖せんとする傾向を有してゐる。(二)此の不斷的傾向の結果として、生物は常に其の食物の不足に苦しむ。自然界に種々なる悲慘があり、又人間界に忌むべき貧困罪惡の絶えぬは蓋しこれが爲めである。(三)故に人間社會からこれ等を根絶するには、先づ一家を扶養する資力なき者が、自ら情慾を制し獨身を固守して、斯くの如き人口過多の自然力を防止せねばならぬ、と言ふのである。

右の中、(二)と(三)とは後年新マルサス論の生ずるに及んで、今の社會の貧困罪惡は必ずしも、人口過多のみの結果ではなく、社會組織の缺陷も確かにその一部の原因を成してゐる。又、人口を制限するに制慾や獨身のみを強ゐるは苛酷であり、それよりも避姙の實行は、むしろヨリ一層自然に、且つ健康に害を及ぼす事なく、而も最も所期の目的に有効である、と著しく修正さるゝに至つた。

然し少なくともその主張の前提、即ち前記の(一)だけは萬古不易と見做されてゐる。これマルサスの名を不及ならしむる一大眞理であるとされてゐるのである。ウエンチヒ教授の如きは、この命題を評して『今日までの經濟學全般に於ける、最も鞏固にして且つ最も重要なる自然律』とまで言つた。けれども、この命題を是認する以上は、其の結論たる(二)及び(三)も亦、少なくとも新マルサス論の範圍内に於いて、これを是認せねばならぬ。何故ならば、人口過増が自然的必然の傾向を有する限り、社會に罪惡や貧困の絶えぬは已むを得ぬことであり、それを根絶するには、勢ひ避姙なり制慾なりに頼るのほか途が無いからである。隨つて人口論の研究は、結局前記の(一)に集中されなければならなくなる。

三、生殖と蕃殖

試みに人間以外の生物に就いて考察するに、生物には何人も知る如く總て猛烈なる蕃殖力がある。

象はあらゆる動物の中、繁殖力の最も少ない動物と言はれてゐるが、それでも其の一生百年間に平均六匹の子を産む。この六匹の子が總て完全に成育したとすれば、最初の雌雄一組から七百四五十年後には、約一千九百萬匹の子孫が生ぜねばならぬ。繁殖力の最も弱き象にして斯くの如くである。若しそれバクテリヤの如き微生物にいたらんか、僅か一晝夜にして約一萬倍に蕃殖する力を有してゐる。されば單に生物の繁殖力といふ點にのみ着目し、それに依つて直ちに生物の事實上の蕃殖を速斷すれば、生物の増殖率はマルサスの主張する如く廿五年毎の倍加はおろか、十年一年、甚しきは一分一秒にして、二倍し三倍する生物が如何程あるか知れぬのである。

然しながら生殖は必ずしも蕃殖ではない。多産といふことは、單にそれだけのことで多く殖えるといふことは意味しない。何故ならば第一に、生物が如何ほど多くの子を産んでも、一方に寒氣、降雪、暴風雨、若しくは旱魃、洪水等の自然力があつて、絶えずその幾分を減殺してゐる。クロポトキンは此自然の破壞力を説明して、これに比較すれば『同一種屬間の競爭の如きは、たとひ或る場合には存するとしても、殆んど其勢力は言ふに足らぬ』と言つた。ベーツは或時、羽蟻が其の穴から出發する矢先き、暴風雨に襲はれた爲め流れに吹き落ちて、死骸が一吋から二吋の厚さで數哩の間水際に續いて流れるのを目撃したと傳へてゐる。かゝる例は、自然界に於いては決して稀なる現象ではない。

以上は生殖力必らずしも繁殖力たり得ざる第一の原因であるが、假りに斯かる自然の破壞力が無いとしても、其他に更らに更らに重要な原因があるのである。

元來生物なるものは、一方に食物の需要者であると同時に、他方にはまた其の供給者である。自らは他の生物を食して生命を維持するが、他の生物は又、彼自身を食つてその生存を持續してゐる。故に生物の生殖力が大きいといふことは、その生物を食つて生きてゐる他の生物から言へば、實はその食物の増殖力が大きいといふことになる。

一例を擧ぐれば、年々英國海岸で捕獲される鰊の數は殆んど全世界の人口に匹敵する。然るにこの鰊はまた絶えず微細なる魚類や甲殻蟲を食つて生き[て]ゐるものであつて、試みに捕獲した鰊の腹を割いてみると、大抵二十乃至三十の甲殻蟲を含んでゐる。今假りに、總ての鰊が毎日平均一匹宛の甲殻蟲を食ひ、半年間生存するものとすれば、英國の漁夫が年々捕獲する鰊の食ひ盡くす甲殻蟲の數は、實に全世界の人口の約百八十倍に相當する。

この事實から觀れば、人間に食はれる鰊よりも、鰊に食はれる甲殻蟲は、遙かに急速に死滅せねばならぬ筈である。而も又一方に於いて、鰊を食ふものは獨り人間ばかりではなく、金鯖の如きは一回に約千匹の鰊を呑む。ベイアード教授の計算に依れば、假りに一匹の金鯖が一日に食する鰊の數を十匹と見積つても、少くとも毎日百億萬匹の鰊が金鯖の餌食となる。更らに同教授は、北米海岸に於いて年々金鯖以外の他の猛漁の餌食となる鰊の數は、少なくとも三萬兆匹に上ることを認めてゐる。

この一例に依つて、一生物の生殖力の大なることは、必ずしもその生物の事實上の増殖力が強いといふことでなく、實はその生物を食して生きる他生物の食物増殖力がヨリ大なることの證據である所以を了解するであらう。食物需要者が殖えると云ふことは、これを他の一面から觀れば、食物供給者が殖えるといふことである。

そこで、自然界全體に就いていへば、『人口』の増殖と食物の増殖との間には、常に一定の平均が保たれてゐる譯であつて、マルサスの目に自然界に於ける悲慘の大原因として映じた生殖の偉力は、實はそれと正反對に、自然界に於ける一切の生命、一切の生活の根本條件でなければならぬ。

四、人間の食物範圍

然るにこの状態は人間に於いては稍々趣を異にして來る。勿論人間も生物である以上、單に他生物を食して生きてゐるばかりでなく、矢張り自らも亦他生物の食物となるといふ、自然の法則を免れることは出來ぬ。

たゞ、この法則の働く範圍は、人間に於いては極めて狹く局限されてゐる。例へば人間が猛獸の餌食となる場合は、今日に於ては最早殆んど絶無といつていい程である。人間はまた傳染病に冒される。その傳染病の原因は黴菌の襲來である。即ち黴菌は人間の身體を餌食とするのである。然しこれとても文明の進歩とともに醫術衞生が完備するに連れて、追々防止せらるべきことを豫想し得られる。

斯くの如く、人間が他生物の餌食となる場合は比較的稀である故、若し人間の食物範圍を固定不動と見れば、人間は結局大規模の飢餓貧困を免れることが出來ぬ筈である。

然るに人間の食物範圍は決して固定不動ではない。人間の數は二十五年毎に倍加するとマルサスは言つてゐるが、人間以外の生物中には、前にもいふ如く、十年、一年、甚しきは一分、一秒にして倍加するものが無數にある。そして人間はそれ等の生物の或るものを常食として生存するのである。たゞ、人間が求むる生物は、人間以外の他生物中にも亦、これを求むるものが多く、隨つて人間の食物範圍に影響を來たす譯であるが、人間は他生物の有せざる武器即ち知力を以つて自己と同一の食物を要求する他生物を排撃し、自己の食物たるべき生物を勢力範圍内に引き込むことが出來るのである。

前の例で言へば、人間は鰊を食ひ、鰊は又金鯖にも食はれる。若し人間が鰊を獨占せんとすれば、宜しく金鯖を遠けることである。斯くすることに依つて人間の食物範圍は自ら擴大されることになる。現に人間はそれを實行しつゝある。即ち魚類の飼養に於いて、産卵期になれば親魚だけを隔離し、生れた卵が他の魚類に食はれることを防ぐが如き、又農業や養蠶に於いて、害蟲驅除を慣行するが如き、或は又牧場に於いて猛獸の來襲を防ぐ特殊の設備をなすが如き皆それである。又或る程度まで自然力の侵害を豫防して、自己の食物の死滅を防ぐことも出來る。更らに人間は、機械を用ゐ技術を施して、自己の食物たるべき生物の食物を精選増大し、それに依つて其生物の質量を改善増大することも出來れば、又人爲淘汰に依り人間の要求通りに其生物の組織體形を改造することも可能である。

要するに人智の進歩、生産技術の發達は、人間の食物範圍を無限に擴大し得る可能性を有してゐるのである。然しながら如何に生産技術の發達があるとしても、一方に土地の豐度に限定があり、また一定豐度の土地に加へられた勞働の生産力に限度あるべきものとすれば、人間の食物範圍は早晩その擴大を停止するの餘儀なきに至るであらう。所謂『収穫遞減の法則』なるものは、この要求に應じ、マルサス説の補足として提供されたところのものである。

五、収穫遞減か収穫激増か

この學説に從へば、元來一定の土地が齎らす収穫分量は、決して其の土地に加へられたる勞働量の増加と同一比例を以つて増大するものではない。例へば最初の年、十人の勞働者を使役して一定の土地を耕作し、それに依つて百の収穫を得、翌年更に十人を加へて此の土地を耕耘しても収穫の量は決して二百とはならず、更らに其翌年は収穫の増大率が遞減するのである。今これを假りに五年間に見積れば次の如くになる。

一年目二年目三年目四年目五年目
勞働者數一〇二〇三〇四〇五〇
収穫總量一〇〇一八〇二四〇二八〇三〇〇
最後に加へられた勞働の収穫一〇〇八〇六〇四〇二〇

そこで一家族を平均五人と見積り、其の一家の生活に必要なる一年間の収穫量を假りに五とすれば、次の如くになる。

 一年目二年目三年目四年目五年目
勞働者數一〇二〇三〇四〇五〇
右勞働者に養はれる家族數二〇三六四八五四五八
最後に加へられた十人の勞働者が養ふ家族數二〇一六一二

即ち人口が増殖するに從つて、その増殖した人口の得る収穫量は減退し、農民が他の人口に提供する過剩収穫の分量もそれに準じて遞減する。最初の年、農民に依つて養はれる非農民家族は二十戸であつたが、最後の年に於いては僅かにそれが四戸に減じて來る。即ち人口の増加は、絶對的には食物の増加を齎らすが、相對的には却つて其の減少を來たすといふことになるのである。

この説は後に『限界効用説』と稱して工業方面にも應用された。兎もあれ、この説は『収穫法則の根柢に横はる一大眞理』として、經濟學者の讚美の的となつてゐる。これが果して『一大眞理』であるとすれば、マルサス説も矢張り其の根本に於いて一大眞理でなければならぬ。

然るにこの説に就いて先づ疑問とすべきは、それが果して生産技術の發達を前提としての結論であるか、それとも又生産技術を固定と見ての結論であるかといふことである。若し生産技術を固定と見れば、一方に収穫遞減の法則が眞理であると同時に、他方に収穫停止の法則も亦眞理でなければならぬ。

何故ならば、茲に一定の土地があり、それを耕作するに一人の農夫が一挺の鋤(一定の構造の)を用ゐると假定する。此の場合他の一人を加へても、鋤の生産力は殆ど増進しない。尤も此新たに加へられたる農夫が更らに一挺の鋤(同じ構造の)を用ゐれば、その爲に耕耘が増進するといふ利益はあるであらうが然しそれは與へられたる生産條件に於いて耕耘を十分ならしむる爲めに、二挺の鋤を要するといふことを示すに過ぎぬ。二挺で十分の場合に、更らに一挺を加へれば、加へられたる一挺は全く無駄になる譯で、三挺目の追加勞働は、収穫遞減ではなく寧ろ収穫停止の境目である。

兎に角、生産技術を固定と見る限りに於いて、一定の土地から得られる収穫の最大限度に對しては、必らず其の爲に必要なる勞働量が一定して居る。隨つてそれ以上の追加勞働は悉く浪費に終はる。

六、収穫激増の法則

生産技術を固定と見る時は以上の如くであるが、反對にそれが發達する場合には、収穫遞減にあらずして収穫激増が行はれるのである。

一例を擧ぐれば、熱帶地方に於いては土地の乾燥甚しきため、如何に人力を用ゐても収穫の得られない場合がある。かゝる際に、この土地に文明的灌水設備その他を利用すれば、單にそれのみで収穫が百倍し、千倍し、且つ支出勞働の分量が著しく節減される。故にこの場合は収穫遞減にあらずして収穫激増である。けれどもこの灌水設備も長い間には結局又、収穫遞減を餘儀なくせしむるものであるが、一方に人智の發達は新たに収穫激増を喚び起す原因となる更らに完全な灌水設備を發明するのである。

斯くの如く、生産技術の發達を不斷と見る限り、収穫遞減は常に収穫激増に打勝たれる。現に世界の如何なる國に於いても、文明の進歩に連れて農民の數は全人口に比し著しく低下してゐる。若し収穫遞減のみが實際行はれるものとすれば、農民に扶養される一般人の數は、農民の數に比して逐年遞減してゆかねばならぬ筈である。

然るに農民遞減の事實は、單に歐洲諸國の如く生活品の輸入を特色とする工業國に於いてのみならず、合衆國の如き生活品輸出國に於いてさへもこれを看取することが出來る。

合衆國の總人口は、一八七〇年に於いて三千九百萬人であつた。その中、都會民は八百萬、即ち全人口の二十一%を占めてゐた。然るに一九〇〇年の統計に依れば、總人口は七千九百萬に上り、都會民の數は優に二千五百萬を超えてゐる。即ち總人口の二十一%から三十五%に増率した。それと同時に小麥の輸出は五千四百萬ブシエルから一億八千六百萬ブシエル、綿花の輸出は三百萬梱から七百萬梱に激増した。

尤も都會民の中で、農具類の製造に從事する勞働者は、此の場合矢張り農民と見做すことが出來るが、それは極めて僅少である。即ち一八七〇年は二萬五千二百四十九名、一九〇〇年は四萬六千五百八十二名、一九〇五年は四萬七千三百九十四名に過ぎぬ。これ等を算入しても、前記三十年間に於ける農民の増加は六%に過ぎぬが、都會民の増加は優に二百十二%を數へてゐる。

また我國の總人口は、明治四十一年には五千二百六十二萬七千十一人であつたが、大正五年には五千七百十九萬九千二百七十七人となり、約八%の増率を示してゐるが、同年間に於ける農民數は五百四十萬八千三百六十三人より五百四十五萬七千七百九十三人に増加し、僅かに一%弱の増率である。而して同年間に於ける米の輸出高は、二十三萬石から六十九萬石に増大した。

七、人口論の社會的背景

以上の説明に依り、マルサスの人口論及びその補足説たる『収穫遞減の法則』が、今日の科學的批判に對して、脆くも倒壞すべき軟弱の學説たることは明かである。然るにも拘はらず、この兩説は今日學界に於いて尚不動の(少くとも其の根柢に於いて)眞理と見做されてゐる。元來マルサス説は、封建制度から資本制度に到る過渡期の社會事情を反映したもので、資本の集中に伴ふ、失業者の増大を自然律に依つて瞞着せんとしたものである。然しながら失業者の増加が、却つて資本蓄積の動力となることは、一面、封建の舊勢力に囚はれた彼れの頭の中に明晳の理解を喚起しなかつた。彼れは失業者産出の責任が、封建貴族に轉嫁さるべきことを怖れたのである。斯くて彼れは、一面失業者の續出を自然の避け難き運命と見つゝも、これを人力に依つて制限せんことを企てた。

然るに其後、マルサス説が資本主義の學者に受容せられ、人口の過増、即ち失業者の増大が、資本制度發達の動力であるといふ事實が益々明白に意識せらるゝに至ると同時に、マルサス説の中、人口制限にわたる部分は全く不用に歸した。即ち資本主義の學者は、たゞ人口過増の自然律から、貧困の是認に至るまでの過程に於いてマルサス説に隨喜した。彼等は此の過程に依つて、貧困に對する自己の責任を自然の肩に轉嫁しようとしたのである。

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