第六講 宗教と社會 ―キツドの社會進化論―

高畠素之

一、社會學の後れてゐる理由

社會問題の研究家にして多少炯眼なる人々は、必らずや社會學の進歩の後れてゐる事實に着眼したであらう。キツドも亦此の事實に着眼し、これを痛嘆した一人である。而して彼れは自分こそ此事實を變更すべき使命を有するものと信じてゐただけに、それだけ彼れの痛嘆は甚しかつたのである。

彼れがその任務に着手した態度は、前途洋々たるものがあつた。彼れは社會學は何故茫洋裡に彷徨するかの理由は知つてゐた。その理由は社會學者が生物學とその説明方法とに充分の注意を拂はなかつたことにある。彼れはその著『社會進化論』の次の一句に依つてこの思想を最もよく言現はして居る。『人類社會なるものは、畢竟、生命史上に於ける最高現象たるにすぎぬ事、隨つて社會現象を取扱ふ凡ゆる知識部門は、その眞の基礎を生物學的諸科學の上に置くものなる事――此等の兩事實は、人類社會を論究する所の諸科學に依つて、多年に亘り閑却されてゐたやうに見える。』キツドは斯く適切に論を起しながら、而も結局は宗教上の言葉を以つて一切の進歩を叙述するに終つたことは、後段述べる通りである。

二、競爭の漸變

彼れの著書の中頃には社會主義の危險を説明した長文の一章がある。しかもそれから二頁目には、次の如き記事あるを見て我々は少なからず驚かされた。

『前世紀中、他の殆んど總べての方面に於いて科學は大なる進歩を遂げたにも拘らず、嚴密に人類社會の科學と稱すべきものは一もないと斷言せざるを得ないのである。』

『現存する如何なる知識も、多かれ少なかれ混沌たる状態で多くの人々の腦裡に散在してゐる。現代の錯綜せる社會現象の中に作用しつゝある諸法則の統一といふ概念を最近最も著しく促進する傾向のあつたものは、概括と云ふ事である。而して此概括なるものが、正統學派から來たものでないことは、我々が如何にそれを認むるに躊躇すればとて恐らく間違ひのない事實であらう。それは寧ろカール・マルクスを首腦とする社會革命學派によつて提供されたものである。』

キツドは徹底的ダーヰン論者であると同時に、またワイズマンを嘆賞しその見解を受け容れた。而して此等の二大學者こそ社會學の救主たるべきものと信じてゐた。

然しキツドの生物學的素養には、二つの容易ならぬ缺陷がある。彼れは、クロポトキンの『相互扶助論』及びデ・フリーの『變化説』が、未だ社會に發表せられざるに先だつて、その論を組み立てたため、此等の兩者の恩惠に浴する事が出來なかつた。若し彼れが當時『十九世紀評論』誌上に載つてゐたクロポトキンの論文の比較的初期のものでも讀んでゐたなら、彼れは恐らく『不斷的にして且つ必然不可避なる鬪爭及競爭』に就いて斯くまで喋々することは無かつたであらう。

彼れは勿論舊來の生物突變説を排斥しつつ、二十年前のダーヰン派學徒に倣つて、進化の緩慢性を誇張した。若し彼れにしてデ・フリーの實驗及びその結果に就いて知る所があつたとすれば、彼れは有機的進化の『緩慢』に關するその見解を變更したかも知れぬ。

三、淘汰と社會進化

彼れは、社會進化の根本的法則は、ダーヰン説の中に見出し得るものと信じ、この目的に向つて大膽に驀進した。彼れの穿鑿は簡單にして上首尾であつた。彼れはその穿鑿に着手して間もなく此法則を見出した。それはダーヰンの自然淘汰説に外ならなかつた。抑も有機的生命の最低級なる形態に於いては、劣等なる多數者は犠牲に供せられ、その結果極めて少數の優良者のみ繁殖して、自種屬の最高能率を保存することが出來る。若しこの點に於いて生存競爭を止め得るものとすれば、優者も劣者も共に蕃殖し斯くして種屬の進歩は止み忽ちにして墮落が生ずるであらう。これに依つてこれを觀れば、下級生物間の進歩なるものは、少數優者の爲に多數の不適者を絶えず淘汰する所の生存競爭の結果であることは明かである。

キツドは、この原則をその儘に人類社會の領域に適用した。彼れに依れば、優秀なる少數者は社會を支配し、社會をして最高度の能率を維持せしめんがために選擇されるものであつて、この目的のために多數者は篩ひのけられることを甘んじなければならぬ。若しキツドにして、進化の要素としては相互扶助は相互鬪爭に優ると云ふ事實の充分なる證據を知つてゐたとすれば、自説に對する彼れの信頼は著しく減殺されたであらう。即ち彼れは有機的階梯の上進するに從ひ、協力が競爭に代る度合も亦ますます上進するものなることを知るにいたつたであらう。彼れは此點を見落し、又はその力を評價し損ねてゐるとはいへ、しかも、低級なる有機界と人類社會との間には大なる一差異の存することはこれを認めてゐた。

四、理性の否定

この差異と云ふのは、即ち盲目的無意識的なる力の作用と、人間の理性力との差異である。この差異こそ、レスター・ウオードが彼れの社會學の基礎たらしめたものである。けれどもキツドとウオードとは、この點に於いて完全なる對照をなしてゐる。ウオードは、將來に於ける進歩は理性の使用増加に懸ると信じたが、キツドは、斯くの如き道程は却つて不幸を齎らすものと信じ、人類が大にしては自然力一般、小にしては生存競爭に干渉せざる所に進歩が存するものと觀た。ハツクスレーは『生存競爭の最も嚴密に制限せられた』社會こそ、最も完全に近い社會であると主張した。ダーヰンは曰く『同情心ある成員を最も多く含む社會こそ最も能く繁榮して最多數の子孫を繁殖せしむるものである』と。クロポトキンは動物間に於いてすら競爭の價値は疑はしきものとなし、動物間に於いても『種屬の進歩的進化にして劇甚なる競爭の期間に基礎を置き得るもの一つもなし』と主張して居る。是れ實にキツドの狹隘なる眼界に映じたることなき――不幸にして彼れの全學説を通じて――進歩の一形相である。

茲に於いてキツドは、次の如き奇怪なる主張を採るに至つたのである。即ち人類進歩の繼續は、多數者が現在の苦難を輕減する爲め、其の理性の使用を斷念することに懸ると。社會の人々から看て、劇甚なる生存競爭を繼續することが理性に反するものとなることは彼れも認めてゐる。彼れは又、理性に依つて人類は何故、斯かる競爭を廢除せざるかと問ふた。これに對する彼れの解答こそ、彼れの理論體系の基礎をなすものである。

五、キツドの貧困觀

第一に、若し人類が鬪爭を廢したとすれば、進歩は熄んでしまふであらう。彼れは其『人類進歩の諸條件』と題する興味ある一章をこれが説明に供げてゐる。彼れは此章の中に人類歴史の概要を掲げてゐるが、これは、同じ問題に就いてクロポトキンが『相互扶助論』の中に論じているところに答へたものと云つてもいい。彼れは人類に就いて曰く『近世科學の眼鏡を通して過去を顧みる時我々は最初先づ人類なるものが外觀に於いては、多くの恐るべき競爭者に對して微かにその位置を守つてゐる一動物に過ぎないことを見る』と。更らに又『人類以前の生命史を顧みる時、我々はそれが一方に不斷の進歩の記録であり、他方には不斷の緊迫と競爭との記録であることを知る。我々の周圍に見られる此秩序ある美しき世界は、今や此處に棲息するあらゆる生物間に於ける間斷なき競爭――主として異なれる種屬間ではなく、同一種屬の個體間に行はれる――の舞臺であり、過去に於いても常にさうであつた。我々の脚下に廣がつてゐる緑の芝生の中にある諸種の植物は互ひに暗默の競爭を行つてゐる。故に若し外部からの妨害なくこの競爭が行はれる儘に放任されてあるとすれば、結局弱者の根絶を見るまで、競爭は休止することがないであらう』と。彼れは更らに結論して言ふ。他の條件に變化なき限り、淘汰の及ぶ範圍が廣ければ廣い程、競爭が劇しければ劇しい程、また淘汰が嚴密に行はるれば行はれる程、それ丈け進歩は大となるであらう』と。人類社會を論ずるに至つても、彼れは依然『競爭』が緩和せられざることを見るのである。彼れは曰く『我々は人類歴史の單一形態たる、人類の發達が依つてその下に進行する所の緊張と力働とに留意する必要がある。人類の諸社會は、これを構成する個々人と同じく、その生存する境遇の所産と見做すべきである――その境遇とは即ち、間斷なく進行する所の競爭に於いて、適者の生存するといふことである』と。キツドとクロポトキンとの分岐點は、社會と社會との間の鬪爭――爰にも多少の差異はあるが――に關するものではなく、社會内部に於ける鬪爭と競爭とを最も完全に停止せる社會に勝利の榮冠が歸するとクロポトキンが主張するに對して、キツドは全然これと反對の見解を持するといふ點に有してゐる。

斯かる論爭が結局如何に決定されやうとも、文明史中未曾有の最高點に達した現代社會が、今尚その大多數成員間の生存競爭によつて分裂してゐるといふ一事はこれを否定することは出來ぬ。凡ゆる改革者の失望の原因たる恐るべき貧困は、此競爭に基くものであつて、この事實は、キツドも明に認めてゐる。彼れは此の點を胡麻化さうとはしなかつた。他方に於いて彼れは貧困の存在を論證しようとし、極めて重要なる多くの證據を擧げてゐる。彼れは改革に就いての要求が、煽動家たちにのみ限られるものでない事を示すに意を注いでゐる。ハツクスレーは個人主義にも社會主義にも反對したとは云へ、社會の實状に就いては心から憂へてゐた。彼れは曰く、『現代文明中の最良のものと雖も、何等の價値ある理想を體化せざる、または確乎不動の眞價をも有せざる人類状態を呈示するに過ぎない如く見える。私は躊躇する所なく言ふ、若し人類種族の大部分の状態に對して一大改善をなすの希望がないとすれば、また若し知識の増加、及びその結果たる自然界に對する支配の擴大と、此の支配より生ずる富とが、多數人類の肉體的及道徳的墮落を伴ふ缺乏の範圍と強度とを減じないものとすれば、私は寧ろ斯かる状態を一掃して呉れる親切な彗星でも出現して來ることを祈仰する者である』と、彼れはまた曰く『貧困の隼鷹が永へに人類の生存機能を破り人類を破滅の淵に沈淪せしむる限り、人類のプロメシユス(註、希臘神話中の神名。天火を盗み來り其用法を人類に教へたる罪に依つて、カウカサス山上に繋がれ、隼鷹の爲に毎日その肝臟を喰はれて苦められた神を謂ふ。)が天火を盗んで自己の從僕たらしめ、而して天地の諸々の靈が彼れに服從する事ありとも、それが彼れにとつて何の利益となるであらう?と。

六、キツドの社會主義觀

キツドは社會主義者の口を藉りて、この問題を次の如く述べてゐる。『この新たなる信仰の奉持者たちは曰く、多くの人々がなほ働いて窮乏し、極めて僅かな人々が閑暇を有して富んでゆくのであるならば、地球上の荒廢せる場所が商業の公道に變へられたからとて、それが何になる?科學のすべての應用が勞働者の勞働を輕減するのでないならば、知識が増進したからとてそれが勞働者にとつて何の益になる?富は蓄積されるかも知れぬ。公私兩面の壯麗は世界史上その比を見ざるまでに發達したかも知れぬ。然し貪の仇神がなほ、眼の落ち窪んだ怪物然として祝宴に臨んでゐるのであるとすれば、社會は抑も如何なる點に於いてヨリ善くなつてゐるのであるか?』と。

この驚くべき状態に對する觀察こそ、實にジオン・スチユアート・ミルをして『そのすべての機會を含める共産主義と、そのすべての苦痛と不正とを含める現社會状態との』何づれか一方を擇ぶべき場合に立至つたとすれば――『共産主義に伴ふ大小あらゆる困難の如きは、秤上の塵芥にもすぎざるものとなるであらう』と言はしめたものである。

キツドはかゝる生存競爭及びそれに伴ふ貧困の廢除に就いての要求が至極道理あることであり、而して此廢除は社會主義によつて行はるべきものなることを承認するに躊躇しなかつた。

『我々にして若し、論究すべき問題の性質を能く理解せんとならば、社會主義の理論を目して、病的頭腦の亢奮的想像なりとする俗見を、我々の心裡から一掃する必要がある。社會主義の理論は決して、左樣なものではなく、それは實に冷靜なる理性の、信實にして誇張なき教旨である』と彼れは言ふ。

彼れはまた、社會主義に對する批評の多くが甚だ當を得てをらぬことをも認めてゐる。即ち『これ等の社會主義者の議論が、その反對論者側に見出さるゝを常とするところの著書文章によつて有効に答へられたと考へるよりも大なる誤謬はない』と。また『現人民中の下屬階級の理性は決して現存状態の維持を承認するものに非ざる』事をも認め且つ主張してゐる。

然るに若しキツドの主張する如く、生存競爭及びそれに伴ふ貧困を根絶するとすれば、その結果進歩は杜絶するものとし、而して現在苦痛を受けてゐる人々が斯かる結果の生ずべき事を認識したとしても、斯く認識せるだけで果して、彼等は右の如き結果を生ぜしめないやうに努めることゝなるであらうか。キツド自身はさうは考へなかつた。彼れは斯樣な想像を不條理なものと見てゐた。彼れに依れば、人類はかゝる遼遠なる動機に依つてうごかされるものではない。斯くて彼れはマロツクの言葉を引用してゐる。即ち『誰れか炭田をいま一代續かせる爲めに現在に於ける炭斗一杯分の採堀を拒むものがあらう?』と。勿論、拒むものはなく、今日左樣な事を苦慮せずとも、將來我々の子孫は他の保暖方法を知るに至るであらう。

かくしてキツドに言はしむれば、問題は次ぎの形態をとることゝなるのである。勞働階級にして若しその理性を使用し社會主義を採用することに依つて自己の貧困と窮乏とを根絶することが出來、而して實際遼遠なる考慮によつて影響されるゝ[ママ]ことがないとすれば、何故彼等は起つて現在の不幸から脱却しないのか?これ實にキツドの讀者の心裡に益々執拗に浮びに來たる疑問である。

實際これは、キツド自身にとつても一大神祕であつた。而して歴史は又も繰り返す――即ち神秘は宗教の母となるのである。キツドは、勞働階級の斯かる不條理にして説明し難き屈服は、宗教それ自身の手細工であると説くのだ。然らずんば、これは如何にして説明し得るであらう?現象が若し自然的のものでないとすれば、それは超自然的のものでなければならぬ。若し合理的のものでないとすれば、それは宗教的のものでなければならぬ。

斯樣に彼れの學説の全景を眺める事が出來るやうになつたとき、我々は彼れの學説なるものが、要するにカントの『至上命令』の近代化した復活にすぎざること、而して我々の義務は、如何に困難であり、又は無趣味なものであつても、神の意思と見做すべきものとなることを見るのである。

七、キツドの歴史觀

我々は更らに分解を進めるに先だち、彼れが此貴重なる原理に依つて歴史を説明せんとした悼ましき努力を辿つて見ようと思ふ。

基督教の出現以前に於ける古代世界の下層階級は、その悲慘なる運命を改善せんと企てる毎に、容赦なく粉碎されてしまふのが常であつた。これ蓋し、支配階級は理性の命ずるところに從つてのみ活動し、宗教上の考慮に依つて影響せられなかつた結果である。この時代にはまだ、偉大なる、そしてキツドの見るところに依れば唯一の宗教たる基督教は出現しなかつたから、當時の下層階級が果して如何なる状態にあつたかを知るは困難である。然しながら基督教の出現以後に於いては、全く趣きを異にして來た。羅馬帝國の末期に當り、奴隷制度は消滅した。これは――歴史上の記録は頗る明瞭を缺いてゐるとはいへ――奴隷が反抗した結果に違ひないのである。然るに今や支配階級は血の海を以つて叛逆を鎭壓する代りに、却つて自ら屈服したのである。これ蓋し『愛他的觀念の巨大なる資源』――奴隷所有者の『性格を和らぐる』ことに依つて、彼等をして人身の所有權を許す奴隷制度を擁護せざらしめた所の――を造り出して保存した基督教の活動に基くものである。

その後、この奴隷制度が復活して、米國南部諸州一帶に蔓つた際、これが廢止を爲し遂げたものは、實に救世の教義と神の前には萬人平等なりとの教義とであつて、決して理性の働きに依るものではなかつた。何故ならば、これ等の教義は何づれも理性に基くものではなく、信仰に基くものであるから。斯かる宗教的歴史觀は餘りに淺薄、餘りに非現實的であつて、冗々しく批評する必要を見ない。然し序ながら一言したきことは、自己の屈服するまで宗教的教義の影響によつて『その性格を和らげられて』ゐた筈の此等南部諸州に於ける奴隷所有者たちが、多年に亘つて血なまぐさき鬪爭を重ねた末、遂に自ら屈服せざるを得ざるに至り、始めて屈したといふ事實は、右に掲げたキツドの見解とは容易に一致しさうもないと考へられる。キツドは堅く主張して曰く、宗教の感化によつて鋒鋩を鈍らすにあらずんば、如何なる支配階級も必らず勝利を得るに違ひないと。

南部諸州の支配階級は、その奴隷との間ではなく、北部諸州の支配階級との間に交戰してゐたものであり、而して此等の北部諸州の支配階級は宗教の暖き感化を受けてゐたに拘らず、その鋒鋩は毫も弱められた樣子がなかつ[たと]云ふ事實を見得るだけの史眼は、彼れキツドの所有せざるところであつた。

彼れにして若し此事實を見たとすれば、彼れは恐らく北部支配階級は正義のために戰つたとの理由に依つて、これを説明したであらう。何故ならば、彼れの如き半盲的思想家にとつては、勇敢なる北方人が戰つたのは、畢竟するところ彼等自身の有するいま一つの奴隷制度を擁護せんが爲だといふ事實は、容易に認識され得べくもないからである。

キツドの觀るところに依れば、佛蘭西革命は二つの掠奪階級間の戰爭ではなく、支配者と人民との間の鬪爭であつた。支配階級の心情及性格は、當時すでに、宗教の影響に基いて『徐々に蓄積されてゐた多量の人道的觀念』に依つて『和らげ』られてゐたのである。キツドは言明して曰く『人民の主義が勝つたのは、これ等支配階級の心情に訴へたからで街頭に訴へたからではない』と。斯くて、宗教の力で人道化され心やわらげられた佛蘭西の支配階級は遂に屈服することゝなつたのである――激烈な血腥き鬪爭を重ねた後に!

八、社會主義と生存競爭

斯くの如き次第であるから、キツドが社會主義に反對したからといつて、これは敢て異とするに足らぬ。彼れの提出せる多くの社會主義反對論中、彼れの理論體系に重要缺くべからざるものがたゞ一つある。それは即ち、社會主義は生存競爭を停止し、かくて一切の進歩の第一原因と彼れが見做してゐる自然淘汰の作用を廢除するに至るであらうと云ふ反對論である。

現社會を呪咀する墮落的生存競爭は將來の進歩に必要であるとの思想は、キツドのブルヂオア的頭腦に基く觀念的幻影であつて、斯かる思想は近世の實驗科學中に何等の本質的位置をも有せざるものである。斯樣な現存してゐる生存競爭が、社會的に望ましき何等かの意味に於いて適者たる人々の生存を確保するか否かの問題に就いては、第五講『生物學と社會主義』の中で充分に攻究したところである。

九、宗教の使命

キツドが若し、現在に於ける被搾取勞働階級は、將來に於ける人類の利益の爲に自己の利益を犠牲にしてゐると云ふ風に考へたとすれば、彼れは自己の惡戲に依つて飜弄されてゐるものと云はねばならぬ。彼れが將來に於ける人類の利益と考へてゐるところのものは、要するに、現在に於ける支配階級の崇高化され理想化された利益に外ならぬものである。茲にキツドの立場なるものを詮じ詰めれば、勞働階級は支配階級の利益の爲めに、默々として服從して居らねばならぬ、而してこの服從は、當然のものでもなく、また道理あることでもない故に、必然宗教に歸すべきであると云ふことになる。斯くキツドの哲學から、その形而上學的扮飾を剥ぎとつてしまふと、それは極めて道理ある言分を少なからず含むこととなるのである。

然しながら、二十世紀の今日、單り宗教の力に依つてのみ勞働階級の永續的服從を得ようとするは無益であらう。從來、被壓制階級に對する抑制が總べての宗教の主要なる職務であつたことは容易に認め得る。ラスキンは富裕階級の一人として英吉利の國教を次の如く定義してゐるが、これも矢張り右の見地に基けるものである。即ち、『宗教上の儀式を行ひ、而して我々自身が歡樂に耽りつゝある間に暴民を靜穩に働かしむべく、眠氣催しの眞理――又は虚僞――を説教するもの』これ即ち英吉利の國教である。まことに、神學が未だ科學に依つて壞滅されなかつた時代にあつては、宗教は他から何等の力をも藉ることなくしてかゝる結果を全うすることが出來たのである。斯樣な民衆抑壓は、普通の自由思想家から看て如何に好ましからぬものであらうとも、種族のためには有用であつたといふ、キツドの主張も亦多くの眞理を含むものである。

如何なる事物にしろ、存在する以上は現實に意味あるものであり、而して數世紀に亘つて存在せる事物は何等か有用なる機能を有してゐたに違ひないといふ事は、進化論に含まれる本質的にして且つ周知の主張である。この見地からすれば、奴隷でさへも當然存在すべき理由を有してゐたものとする事が出來る。北米の土人が歐洲文明に順應し得なかつた理由は、かれらが幾世紀間にも亘つて白人種の間に行はれたる奴隷制度と農奴制度とを經驗しなかつたといふ事實の中に見出し得るであらう。蓋し此等の兩制度ありしが故に、白人種は近世文明に缺くべからざる、連續彌久的な勞働の能力を發達せし得たのである。

宗教は、それは未來の極樂淨土に於ける夢のやうな報酬を約束し、斯くして奴隷制度をば益々耐え得べきものたらしめ以つて如上の傷ましき訓練を助長せる間は、社會の發達上有要なる役目を盡してゐた。この事實は過去に於ける宗教を正當のものとなし得るが、將來宗教を維持すべき適當な理由とはならぬ。而して單り奴隷社會にのみ有用なる陳腐化した迷信の尻押しをすることを、骨折甲斐あることだと考へる如き知識の薄弱な社會主義者は極めて僅少にすぎないと云ふ事實は、蓋し意を強うするに足る事柄である。宗教的信仰の眞の職能が右の事實に存する事は、從來支配階級が敏速に理解せる所であつた。僧侶黨の一代議士ヴインドホオルストが獨逸議會に於いて、民衆の間に無宗教思想の傳播を奬勵する勿れとブルヂオア的立法者に訴へた事は、これが適例と看るべきものである。彼れは憤激の餘り傍らに社會民主黨員が耳を聳てゝ居り、また普く世人が耳を傾けて居ることも打ち忘れて『人民にして若し信仰を失ふとすれば、彼等は最早その堪え難き苦痛を忍ぶ能はず、謀叛するに至るであらう』と。キツドが三百頁を費して言はんとした事を一言にして彼れは盡してゐる。

十、僧侶と新聞記者と教員

この見解を受け容れて勞働階級の解放を遂ぐるには、自由思想だけで充分であると結論する者は、蓋し一大迷想の犠牲者である。支配階級がその犠牲者を默從せしめんとして專ら僧侶に頼つた時代は、既に遠き過去に屬する。加特立教徒以外の社會にあつては、僧侶は最早有効なる警察官ではなくなつた。新教徒の教會に抱擁される賃銀勞働者の信徒數は最早左程多くはないのである。新教の勞働者達は聖書の教義を時代後れのものだと認める樣になつた。彼等はそれに耳を傾けようともしないのである。新教々會は信徒に自由判斷力を行使する權利を許與した時、取りも直さず自己の死刑執行命令書に署名したやうなものである。加特立教會は常にこれが危險に着目してゐた。加特立教會がその信徒たる勞働者間に大なる權力を有してゐるのは、勞働者をして自ら思考するを許さないと云ふ、同協會の論理的にして徹底的なる政策に基くものである。

二十世紀の今日に於いては、支配階級は僧侶の舊式陳腐な空談よりも遙かに有力なる武器を有してゐる。即ち新聞紙が僧侶に代つて説教する樣になつたのだ。今日、大多數の僧侶は饑餓に瀕してゐるのに、新聞記者が多額の報酬を受けて居る所以は茲にある。僧侶は『品物を渡す事』が出來ないから、資本家は僧侶に代金を拂はぬのである。

支配階級のあらゆる知識的雇人の中僧侶が最も貴重なりし時代もあつた。されど資本主義の出現と共に事態は一變したのである。蓋し資本制生産の下に於いては、勞働者は機械使用の複雜なる過程を理解し得べき敏活の頭腦を要するのであるが、僧侶のやり方は徒らに奴隷の智力を破壞し、奴隷をして富の生産上に有用なる働きをなすこと能はざるに至らしめるからである。

學校教師は奴隷心理を生ぜしめるが、同時にまた右の如き生産上必要なる知識をも發達せしむる力を有してゐる。新聞記者は勞働者の頭腦にブルヂオア的思想を注ぎ込む事に妙を得てゐる。と同時に科學的思想を混入した放言に依つて、自己の勢力を維持する力をも有してゐる。

故に教師と記者と同じ理由に依つて又大學教授とは、僧侶よりも厚級を受けてゐるのである。而して教職なるものは、今や益々不必要化しつゝある。

一九〇八年一月十三日、ビツバーグ布教師聯合會の席上で、フイラデルフイアの一牧師ジオセフ・コクレーンは次の如く述べた。

『布教師等の給料は餘りに安すぎる。而して過去十年間に於ける彼等の給料及び昇給率は普通の煉瓦運搬夫のそれとも比較にならぬ位ゐである。』

『米國に於ける教育施設の現状は、二十五年乃至三十年前の状態とは全然正反對である。從前東部諸大學の卒業生にして布教師となれるものは八割に上り、法律家や醫師となり、又は實業方面に向ふ者は殘餘の二割に過ぎなかつたが、昨年の卒業生中布教師となれるものは二割半に過ぎない。即ち卒業生二十五人毎にたゞ一人の布教師を出してゐるに過ぎぬ。』

『今日、布教師たらんとして大學に入る學生達の大多數は、業半ばにして退學し、或は法律家或は醫師或は齒科醫となり、又は實業に從事する。彼等が教育を受けつゝある施設の空氣は、誠に悲しむべきものである。』

『今日の如き唯物的時代に於いて、布教師が不足するに至るは少くとも或程度までその給料の少なきことに起因するものである。』

斯くして、勞働階級の繼續的服從の原因を宗教にのみ歸するキツドの理論は、不斷に寧ろ急速にその立場を失ひつゝある。茲に於いて近世自由主義――自由思想――にのみ限られた宣傳も既に時代錯誤に屬することゝなつた。資本主義は、これよりも一層近代的にして且つ知識的なる武器をその武庫に詰め込んだのである。就中有効なるものは、新聞と講壇とである。而してこれが救治として勞働者等の側から提出すべき一つの武器は、彼等自身の新聞と講壇とであつて、彼等は今や此事實を從來よりも一層強く自覺し始めたのである。此自覺が強烈となるに從つて、新たなる社會主義講壇が設けられ、社會主義の新聞は簇出することとなるのである。

かくて勞働階級は火花を散らして奮戰する。勞働階級はそれ自身の社會的智識を展開し、一の革命的心理を振興する。而して此心理たる實に、神學上その他の迷信から解放された現實界たる經濟的世界から來たるもので、それが充分の力を集合して民衆一般の上に表現する時、經濟上の奴隷制度の最終形態たる資本制度は過去の歴史の中に葬り去られて終ふであらう。

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