第2篇 餘剩價値

第6章 『小親方』の餘剩價値と資本家の餘剩價値

1.餘剩價値率と餘剩價値量

勞働力の價値が一定し、隨つて勞働者の生存維持に必要なる勞働時間が與へられてゐると假定すれば、餘剩價値率と共に又個々の勞働者に依つて供給される餘剩價値量も一定してゐることになる。勞働力の價値が3マルク、餘剩價値率が10割であるとすれば、此勞働力に依つて造り出される餘剩價値量は3マルクである。然し、一定事情の下に於いて、一資本家の有に歸する餘剩價値の總量は幾許であるか。假りに、上記の條件の下に、資本家が300人の勞働者を雇傭するものとして見る。即ち彼れが毎日支出する所の可變資本は900マルク、餘剩價値率は10割となる。此場合には、餘剩價値の量も日に900マルクとなるであらう。即ち『産出餘剩價値の量は、前貸可變資本の量に餘剩價値率を乘じた積に等しい』ことゝなる。

此二つの因子の中、一方が減少した場合には、他方を増大すれば、餘剩價値の量は不變たるを得る。反對に一方が増大した場合には、それに準じて他方を減ずれば、餘剩價値の量は同樣に不變たるを得るのである。1,2の例解に依つて之れを明かにしよう。或る資本家が300人の勞働者を雇傭し、而して必要勞働時間が6時間、各勞働力の價値が3マルク、1日の勞働時間が12時間であるとする。然る場合には、此等の勞働者が産出する1日の餘剩價値量は900マルクとなるであらう。今、勞働者が從順である爲、資本家は勞働時間を12時間から15時間に延長することが出來たと假定する。此場合、若し他の事情に變化がないとすれば、餘剩價値率は9時間(餘剩價値)/6時間(必要勞働)即ち15割となる。そこで從前通り900マルクの餘剩價値を産出させる爲には、資本家は最早900マルクの可變資本を前貸する必要がない。600マルクで足りるのである。勞働者の數も、從前は300人であつたが、今や200人で宜しい。

然し反對に、勞働者が從順でなく、ストライキを斷行するかして幸ひに勞働時間を12時間から9時間に引き下げたとすれば、此場合には餘剩價値率は3時間(餘剩勞働)/6時間(必要勞働)即ち5割に減じてしまふ。そこで、從前通り900マルクの餘剩價値量を得る爲には、資本家は勢ひ600人の勞働者を雇入れ、1800マルクの可變資本を前貸せねばならぬことになる。

資本家にとつては前の場合の方がヨリ氣に入つてゐることは、今更ら強調する必要がない。資本家は出來得る限り、多額の餘剩價値量を獲得しようと努める。然し此目的を達成する爲には、可變資本の増大、換言すれば雇傭勞働者數の増加には依らないで、寧ろ餘剩價値率の増進に依りたいのである。

所が餘剩價値率と云ふものは、資本家が勝手に定める譯には行かない。それは一定事情の下に於いては多かれ少なかれ一定した大さを有してゐる。そこで餘剩價値率が與へられてゐると假定し、此假定の下に一定量の餘剩價値を造り出す爲には、餘剩價値を産出する可變資本と、それを吸収する不變資本との一定量を要することになる。

2.中世手工業組合員の餘剩價値

此關係は歴史的の意味を有するものとなつた。元來、資本制度の發達以前にも賃銀勞働者が使用され、餘剩價値が産出されてゐた。此事實は殊に、中世ギルド(手工業組合)の手工業の上に見られる所である。たゞ當時ギルド組合員たる親方の使用せる勞働者は少數であつた爲、親方の懷ろに入る餘剩價値量も亦些細のものであつた。此餘剩價値量だけでは、親方相當の収入となるには充分でないことが常であつた。そこで彼れ自身も亦、直接手を下して働かねばならなかつた。此『小親方』は賃銀勞働者でもなければ、資本家でもなく、寧ろ其中間物であつた。

3.資本家たるの條件

賃銀勞働者の雇主が現實的の資本家となるには、雇傭勞働者の數が僅少であつてはいけない。彼等から搾取した餘剩價値量で單に地位相當な暮らしをすると言ふだけでは無く、又絶えず自己の富を増殖し得るに足るほど多人數を雇傭しなければならぬ。此事實は、後に述べる如く、資本制生産方法の下に於ける雇主にとつては必要條件となるのである。

如何なる貨幣量でも、其所有者をば資本家たらしめ得る譯ではない。貨幣所有者を産業資本家たらしめる爲には、其貯藏貨幣額が、手工業經營の程度以上に出づる多量の勞働力と生産機關とを買ひ入れ得るに充分のものでなくてはならぬ。と同時に又、貨幣所有者は其使用勞働者の數をば必要程度又はそれ以上に増加することを妨げる一切の障碍から自由の位置に立つて生産に從事することを要する。中世に於けるギルドの組合員たる親方が資本家となり得なかつたのは、個々の親方に依つて使用され得る勞働者の數が著しく制限されることになつてゐたからである。

『近世に於ける(資本制的)作業場の首腦となつたものは商人であつて、舊來のギルド組合員ではなかつた』(『哲學の窮乏』第135頁)。

ギルド組合員たる親方は餘剩價値の占有者であつたとは云へ、尚いまだ完全なる資本家ではなかつた。

ギルド組合員の下に立つ職人は、餘剩價値の産出者であつたとは云へ、尚いまだ完全なるプロレタリア的賃銀勞働者ではなかつた。

親方自身も勞働してゐた。然るに資本家なるものは、他人の勞働の命令者たり、監視者たるに過ぎないのである。

職人は生産機關の充用者であつた。生産機關は彼れの爲に、即ち彼れの勞働を可能ならしめ輕減せしむる爲に存在してゐたのである。彼れは親方の助手であり、協勞者であつた。而して彼れ自身も何時かは親方にならうとしてゐた。又なり得るのが常であつた。

4.死せる機械生ける人間を支配す

然るに、資本制生産方法の下に於ける賃銀勞働者は、生産工程上の專一勞働者である。餘剩價値の源泉である。而して又、資本家はそれを汲み取る所の人である。生産機關なるものは今や、先づ勞働者の勞働力を吸ひ取る目的に役立つことゝなつた。今や生産機關が却つて勞働者(事實上決して資本家となり得ざる)を充用してゐるのである。勞働要具は最早、勞働者の勞働を輕減する爲ではなく、勞働者を勞働に縛りつける爲に存在してゐるのである。

資本制的工場に一瞥を投ずるならば、其處には何千箇といふ紡錘、何十萬斤といふ綿花が見られる。此等の物は皆其價値を増殖せしめられる爲に、換言すれば餘剩價値を吸収する爲に買ひ込まれたものである。然しながら勞働が加へられないでは、此等の物の價値は増殖せしめられるものでない。そこで此等の物は、先きから先きへと勞働を呼び求めてゐる。紡績機も亦、紡績工の勞働を輕減する爲に据ゑ付けられるものでない。寧ろ紡績機の價値を増殖せしめる爲に、紡績工が其處に据ゑ付けられるのである。紡錘は絶えず走つて、人間勞働力を要求してゐる。勞働者は空腹である。けれども紡錘は仕事を續けてゐる。そこで彼れは此主人に仕へながら、ソコソコに辨當を嚥下せねばならぬ。彼れの精力は疲れ果てた。眠い。けれども、紡錘は更らに鮮かな元氣を以つて活溌に走つてゐる。尚も勞働を求めてゐるのだ。而して紡錘が走るから、勞働者は眠むる譯には行かないのである。

死せる道具が生ける勞働者を奴隷にしたのである。

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