6 議會運動

高畠素之

政治運動と議會運動

政治運動は宜しいが議會主義運動は宜しくないと云ふやうな議論が、この頃主義者の間に大ぶん流行してゐる。政治運動とは何かといへば、政權奪取を目的とする運動だと云ふ。換言すれば、國家權力をブルヂォアの手からプロレタリアの手に移動せしめること、之れが即ち社會主義的政治運動である。

そこで議會主義運動を是認すべきか否かといふことは、議會主義運動が此目的に合致するか否かに依つて定まる。立憲政治のもとに於いては、議會に多數を制した政黨が國家權力を掌握し得るのである。日本の如き『非立憲的』と稱せられる立憲國に於いてさへ、議會に絶對多數を占むる政友會の如きは事實に於いて國家權力を壟斷し、立憲的の獨裁を強行してゐたではないか。もし選擧權が普遍化して、プロレタリアの政黨が政友會よりもモツト強い位置に坐つたとすれば、それで政權奪取の目的は達せられ、政治革命の端緒は開かれることになるのである。問題は選擧權の普遍化したる後、プロレタリア黨に果して斯くの如き位置を占め得る可能があるか否かと云ふことである。

プロレタリアとは無資産階級を意味し、而して國民の大多數は無資産者であり、無資産者には無資産者としての共通の利害、共通の心理が存する以上、プロレタリアが政黨として議會に絶對多數を制し得られないと斷定すべき理由はない。隨つて議會主義運動も亦、右に定義せるが如き社會主義的の政治運動として存立すべき資格を拒まれる理由はないのである。

議會運動否認論の迂愚

或は言ふであらう。議會なるものは元來資本主義擁護のために造られたものであるから、議會是認の見地に立つ一切の運動は妥協的であり改良的であると。嗤ふべき愚論である。たとひ資本主義擁護のために造られたものであつても、それを資本主義撤廢のために逆用し得ないといふ理窟はないではないか。ツァール及ブルヂォア王國を擁護するために造られた舊ロシア政府の武器軍隊が、如何にボリシェヰーキ覇權の目的に利用されたかを見よ。敵の手に在る正宗の名刀を憎むのは、正宗を憎むのか、敵の手を憎むのか。

要するに、政治運動を認めて議會主義運動を認めないといふことは、安價低能なるセンチメンタリズムの滿足以外に大した論據はない。低能なればこそ議會否認のための議會運動などといふ珍妙キテレツなテクニックまで案出していゝ氣になつて居られるのだ。議會を否認するのが議會運動と云へるなら、資本主義を否認するのは資本主義運動、國家を否認するのは國家運動となるだらうぢやないか。

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