8 農民政黨の將來

高畠素之

農民政黨の無力

日本農民黨があり日本勞農黨があり、その他各無産政黨もそれぞれ農民政策を掲げてゐるが、一向農民間に實勢力を扶植し得ないのはどういふわけか。日本に於いては農民が人口の大部分を占め、若しも農民を綜合的に糾合せる新政黨が出來たなら、それが壓倒的に天下を風靡し得るに相違ないのであるが。

ところが一向さういふ氣配は見えぬ。思ふに、元來無産運動者らの農民運動なるものが一時騷がれた事情は、專ら小作爭議に關聯してゐる。彼等自身も亦、農民運動といへば專ら小作人對地主の階級鬪爭であるといふやうな口吻をしきりに唱へ、小作爭議の起る都度これを利用して、農民間に勢力を扶植せんとした。小作人の方でも亦、爭議が起れば、自己の側を支持し、小作人等のために理窟を言つて呉れる便利な代物として彼等の聲援を迎へた。だが、農民とてなかなか馬鹿にはできない。小作爭議は小作爭議、政治は政治と區別することを忘れぬ。無産政黨の方では、小作爭議に乘じて勢力を扶植するつもりでも、農民の方ではアベコベに木乃伊取りを木乃伊にして、利用しつぱなしで御免を蒙らうといふのが、今日迄の形勢であつた。だから總選擧にでもなれば、その時はまるで話が違ふ。無産黨に小作爭議のとき世話になつたからとて、一票でも投ずるわけでない。依然として源平の傳統的所屬に從ひ、或者は政友會に一票を捧げ、或者は民政黨に一票を獻ずるといつた調子である。

元來、農民運動を小作人對地主の利害反目の一點に集中せしめるのは日本に於いては上策でない。若しこの立場から行けば、早晩これは實現することと思ふが、自作農創定の如き政策が確定されたとき、小作爭議の起る機會は減じて、無産政黨の農民的旗印は意味を失ふことになる。この意味で、政友會の自作農案の如きは、現無産政黨の出鼻を挫く最有力の政策といひ得る。

現實的農民政策を樹立せよ

然し、自作農の創定維持が行はれても、それだけで農民問題は解決するわけでない。何故ならば、日本では自作農そのものが既にやつて行けない。農民全體が經濟的にやつて行けないのである。日本の農家戸數は昭和元年度に於いて、小作一、五〇八、〇〇〇、自作一、七三二、〇〇〇、自作兼小作二、三一四、〇〇〇といふ數字を示してゐるが、これら多數の自作農は驚くべき生活苦に陷つてゐる。近年、各地方から報告された事實は、實に慘憺たるものがある。そこで、日本の農民政策は、先づ、如何に農村全體を賑すべきかといふ點に向けられねばならぬ。

何故、農民は斯く苦しいのであるか。要するに農業の生産力が低く、生産力が低ければ生産物の價値高き筈であるのに、米穀の價格は割合に高くない。價格が高くないといふのは、要するに、都會的輿論がこれを壓迫して、經濟上の需給律の自由なる作用を抑へ、強ひて農産物の價格を安からしめてゐるのである。農民は封建時代に武士から搾取されたが、今日では都市民によつて搾取されてゐる。そこで、この状態から農民を救ふには、何よりも先づ農業生産力を増進して米穀の價値低下を圖らねばならない。農業生産力を増進するには、生産技術を發達せしめ、農具、肥料、耕作法等、各方面に種々なる新工風を行ふ必要がある。それにつけても資本がなければならぬ。

資本が自由に使へるなら論はないが、農民には資本が不足してゐる。で、來たるべき新しい農民政策は、國家が主體となつて、現實農耕者に低利資金を融通し、或は國家が安價に肥料原料を供給し、各府縣内にその配給所を設ける等の方法を講ずべきであらう。また、生絲の如きは、今日では米國がその主たる需要者だが、その取引價格は先方の言ひなり放題といふ状態である。といふのは、どんな値段でも賣り放たねばやつて行けないからで、この場合、政府が率先して各地に現品倉庫を設立し、適當の價格に落着くまで現品を貯藏せしめ、それに對して低利資金の融通をするといふ如き方法を講じたら、農民がどれだけ浮ばれるかわからない。要するに、これらの現實的政策に向へば、農民は必ず共鳴するであらう。今までの無産黨的盲目的な行き方では、小作爭議の際、農民にアベコベに利用される位がオチで、農民を綜括的に糾合して、新基礎の上に新勢力を形勢するなどは到底不可能であらう。

inserted by FC2 system